渡辺兼永(わたなべかねなが)は、現代刀の位列で「神品の列」に位置づけられている刀工です。
渡辺兼永とは
渡辺兼永(わたなべかねなが)は、明治から昭和前期にかけて岐阜県関で活躍した刀匠です。「日本刀匠総帥」とたたえられ、関鍛冶の中興の祖とも仰がれる人物です。昭和前期には日本刀鍛錬塾の塾長として多くの刀匠を育て、関に伝わる鍛錬法を後世に伝えました。
系譜と経歴
兼永は明治5年(1872年)の元日、岐阜県加茂郡米田村の農家・佐々木家の二男として生まれました。本名は萬次郎です。11歳で刀鍛冶を志し、父が自宅に鍛冶場を作って関から職人を招いたといいます。
16歳で関の刀工・渡辺兼綱に入門し、26歳のとき兼綱の長女の婿に迎えられて「渡辺兼永」と名乗りました。明治30年(1897年)からは、明治の関鍛冶の巨匠とされる真勢子兼吉にも学んでいます。
昭和12年(1937年)に関で日本刀鍛錬塾が設立されると塾長となり、多くの塾生を養成しました。日本刀匠協会の審査顧問も務め、昭和14年(1939年)には「国工」の号を受けています。昭和21年(1946年)に74歳で亡くなりました。茶道(表千家)・華道(松月流)の師範でもあり、温厚誠実な人柄で信頼を集めたと伝えられます。昭和34年(1959年)には関市に顕彰碑が建てられました。
作風の特徴
兼永の作は「今様志津(いまようしづ)」と呼ばれるほど名作が多かったとされます。志津とは、南北朝時代に美濃で活躍した名工・志津三郎兼氏のことで、兼永の作がその再来と評されたことを示しています。
| 項目 | 内容 |
|---|---|
| 系統 | 関鍛冶(美濃伝) |
| 評価 | 「今様志津」と称される |
| 刃文の例 | 三本杉や丁子の刃文を焼いた太刀の記録がある |
三本杉は関の刀工らしい尖った互の目が連なる刃文です。詳しくは刃文の種類や関物の解説をご覧ください。
鑑賞・購入のポイント
関では同じ「兼」の字を用いる刀匠が非常に多く、室町時代の兼永など同名の刀工もいるため、銘だけでなく時代や作風から見極める必要があります。昭和の作は軍刀として作られたものも多いので、登録証や鑑定書の内容をよく確認しましょう。
基本情報
| 刀工名 | 渡辺兼永 |
|---|---|
| 読み | わたなべかねなが |
| 時代 | 現代刀 |
| 国 | — |
| 代 | — |
位列
| 位列 | 位 | 備考 |
|---|---|---|
| 現代刀の位列 | 神品の列 | つるぎの屋掲載の位の付記:最上大業 取締役格 |
位列から見る刀剣界での立ち位置
- 現代刀の位列:「神品の列」——この位列に掲載された353工のうちの一人で、7段階中、上から1番目の位です。昭和17年(1942年)に定められたとされる、展覧会の成績などを基準にした現代刀匠の格付けです。(一覧を見る)
位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。
生きた時代と歴史的背景
現代刀(明治以降)
現代刀とは、明治の廃刀令以降、特に昭和期から現在までに作られた日本刀を指します。現在の刀匠は文化庁長官の作刀承認を受けて作刀しています。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。
まとめ
渡辺兼永は、現代刀の位列で「神品の列」と位置づけられている現代刀の刀工です。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。