山田浅右衛門とは?歴代一覧と御様御用・業物位列との関係

山田浅右衛門とは?
目次

「山田浅右衛門」はどんな人物?業物位列との関係が気になる方へ

刀の解説を読んでいると、「最上大業物(さいじょうおおわざもの)」などの業物位列とともに、「山田浅右衛門(やまだあさえもん)」という名前がよく出てきます。「一人の人物なの?」「試し斬りとは何をしていたの?」と疑問に思った方も多いのではないでしょうか。

この記事では、山田浅右衛門の歴代、御様御用(おためしごよう)という役目、業物位列をまとめた吉睦(よしむつ)、そして明治以降の山田家までを、初心者向けに整理します。

山田浅右衛門とは、江戸時代に幕府の刀の試し斬り役「御様御用」を代々務めた山田家の当主が名乗った名前です。一人の人物ではなく、同じ名を襲名した複数の当主を指します。

山田浅右衛門とは:試し斬りを家業とした山田家の当主

御様御用(試し斬り役)とは

御様御用とは、将軍家などの刀が実際にどれほど切れるかを試す役目です。当時の試し斬りは、処刑された罪人の遺体を用いて行われました。刀剣ワールドの解説によると、山田家は刀の試しに加えて、罪人の死刑執行(斬首)も担っていたとされます。

興味深いのは、山田家の身分です。幕府の役目を担いながらも、山田家は明治時代に役を解かれるまで浪人の身分のままだったと説明されています。

初代・貞武から始まった家業

刀剣ワールド(刀剣広場)の解説によると、試し斬りの役はもともと幕臣の山野(やまの)家が担っており、そこで技を学んだ初代・山田浅右衛門貞武(さだたけ)が役目を引き継いだとされます。以後、山田家は明治時代まで約9代にわたって試し斬りの役目を担いました。

歴代山田浅右衛門の一覧

以下は、Wikipedia「山田浅右衛門」に掲載された歴代と生没年です。代数の数え方や名の表記(「浅右衛門」と「朝右衛門」)は資料によって異なる場合があり、たとえば養子に入りながら後に離縁された人物を代数に数えるかどうかで、数え方が変わるとする説明もあります。目安としてご覧ください。

代 名 生没年
初代 貞武(さだたけ) 1657〜1716年
2代 吉時(よしとき) ?〜1744年
3代 吉継(よしつぐ) 1705〜1770年
4代 吉寛(よしひろ) 1736〜1786年
5代 吉睦(よしむつ) 1767〜1823年
6代 吉昌(よしまさ)※「朝右衛門」表記 1787〜1852年
7代 吉利(よしとし)※「朝右衛門」表記 1813〜1884年
8代 吉豊(よしとよ) 1839〜1882年
9代 吉亮(よしふさ) 1854〜1911年

※在職期間は確認できた資料がないため記載していません。名の読みは一般的な読みを示したもので、資料によって異なることがあります。

業物位列をまとめた吉睦

山田家の歴代のなかで、刀好きにもっともよく知られているのが吉睦です。吉睦は、唐津藩士で刀剣鑑定家の拓植平助方理(たくうえへいすけまさみち)の依頼を受け、試し斬りの記録をもとに、刀工ごとの切れ味を最上大業物・大業物・良業物・業物の4段階に格付けしました。これが業物位列です。

  • 『懐宝剣尺(かいほうけんじゃく)』:寛政9年(1797年)刊行。業物位列が初めて示された書物。吉睦と据物斬りの須藤五太夫の試し斬りの結果が記され、文化2年(1805年)に再版されたとされる
  • 『古今鍛冶備考(ここんかじびこう)』:文政13年(1830年)刊行(東京国立博物館の書誌では著者は山田吉睦、全7冊)。『懐宝剣尺』を増補・再編集したもの

吉睦を何代目とするかについては、刀剣ワールド系の解説やWikipediaの一覧では「5代目」とされています。ただし、代数の数え方や襲名の扱いによって表記が異なる資料もあるため、本記事では「5代目とするのが一般的だが、資料により表記が異なる場合がある」としておきます。なお、Wikipediaの歴代一覧は吉睦を1767〜1823年としており、そのとおりなら『古今鍛冶備考』の刊行(1830年)は没後にあたります(『懐宝剣尺』の項は「吉睦によって再刊」と記しています)。没年や、刊行が没後の出版だったのか、また誰が編集に関わったのかについては、確認できた資料の範囲では説明が見当たらないため、本記事では断定せず、諸説あるものとして扱います。

位列の内容や代表的な刀工は「業物位列とは」で詳しく解説しています。

業物位列を読むときのポイント

山田家の仕事を知ったうえで業物位列を見ると、いくつかのポイントが見えてきます。まず、評価の土台は実際に刀で試した記録であり、刃文(はもん)や地鉄(じがね)の美しさといった美術的な評価ではありません。次に、試すことができたのは山田家の手元に集まった刀に限られるため、対象は江戸時代初期以降の新刀(しんとう)期の刀工が中心とされます。そして、評価の単位は一振りではなく刀工です。

つまり業物位列は、「江戸時代の試し斬りの専門家が、実地の経験をもとに刀工の切れ味をまとめた記録」として読むのがちょうどよい距離感です。流派ごとの作風と見比べたい場合は「五箇伝とは」もあわせて読んでみてください。

明治以降の山田家

明治維新後、新しい刑法の整備とともに斬首による刑は廃止され、山田家は役目を解かれました。Wikipediaによると、斬首による最後の執行は明治14年(1881年)とされ、明治15年(1882年)からは絞首が法定の執行方法となりました。一方、別の解説では最後の執行を明治12年(1879年)としており、年については資料によって差があります。9代目の吉亮(1854〜1911年)が、実質的に最後の山田浅右衛門とされます。

知っておくべき注意点・よくある誤解

「山田浅右衛門」は一人ではない

「山田浅右衛門が業物を決めた」という言い方はよく見かけますが、正確には5代目とされる吉睦の仕事です。本や販売店の説明を読むときは、どの代の話なのかを意識すると誤解を防げます。

業物位列は「刀工」への評価

業物位列は刀工の作全体への評価であり、目の前の一振りの切れ味や真贋(しんがん)を保証するものではありません。在銘でも本人の作とは限らないため、購入時は日本刀の鑑定書などで確認しましょう。

逸話や創作に注意

山田浅右衛門は人気のある題材で、真偽のはっきりしない逸話や、小説・漫画などの創作に由来するイメージも広まっています。事実として知りたい場合は、博物館や辞典など出典のはっきりした資料で確認することをおすすめします。

名工がすべて試されたわけではない

正宗(まさむね)のような古刀の名工は業物位列に含まれていません。大名家の宝物を試し斬りに使うことは現実的でなかったためと説明されます。位列に入っていないことが「切れない」という意味ではない点に注意しましょう。正宗については「正宗とは」をご覧ください。

まとめ

  • 山田浅右衛門は、江戸幕府の試し斬り役「御様御用」を務めた山田家当主の名前
  • 初代貞武から9代吉亮まで、約9代にわたって役目を担ったとされる
  • 業物位列は5代目とされる吉睦が『懐宝剣尺』『古今鍛冶備考』で示した
  • 明治に斬首刑が廃止され、山田家は役目を解かれた
  • 代数・名の表記・最後の執行年などは資料により差がある

「業物」という言葉の裏には、刀の切れ味を記録し続けた一族の歴史があります。刀工の名前とあわせて山田家の仕事を知ると、刀の説明文がぐっと立体的に読めるようになりますよ。

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