是一(石堂運寿)(これかず)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」に位置づけられている刀工です。
運寿是一とは
運寿是一(うんじゅこれかず)は、江戸時代後期から幕末にかけて江戸で活躍した刀工で、石堂家の七代目是一にあたります。石堂派を代表する名工とされ、江戸幕府の御用を数多く務めました。備前一文字を手本とした華やかな丁子刃を得意とします。
系譜と経歴
新々刀期の名工・長運斎綱俊の一族で、はじめ綱俊について鍛刀を学びました。続柄については、倉敷刀剣美術館の解説は綱俊の甥、刀剣店の十拳の解説は綱俊の次男としており、資料によって異なります。その後、石堂家を継いで七代目是一を名乗りました。十拳の解説では、天保12年(1841年)から石堂家を継いだとされています。
刀剣ワールドによると、天保12年に伊勢神宮と日光東照宮に奉納する刀の鍛造を命じられ、徳川家の家紋である葵紋を茎に切り添えることを許されました。さらに嘉永7年(1854年)にはアメリカへ贈る日本刀を、安政6年(1859年)にはイギリスへ贈る薙刀を作るなど、幕末の外交の場面でも幕府の御用を務めています。江戸麻布に住み、門人も多く抱えました。
作風の特徴
| 項目 | 特徴 |
|---|---|
| 作風の系統 | 備前伝と相州伝の二様。本領は石堂派のお家芸である備前伝 |
| 地鉄 | 小板目肌がよく詰んだ精美な鍛えに地沸がつき、地景が働く |
| 刃文 | 備前一文字を手本とした華やかな丁子乱れ。互の目乱れに小湾れを交える作もある |
| 独自性 | 新々刀期の備前伝の多くが匂出来の丁子を焼くのに対し、沸出来で丁子を焼く |
倉敷刀剣美術館は、沸出来の丁子に是一の独創性がうかがえると評しています(備前伝)。
鑑賞・購入のポイント
是一の名は石堂家で代々受け継がれたため、「是一」銘の作は代の確認が欠かせません。運寿是一の作には「石堂運寿是一」のように「運寿」を入れた銘や、葵紋を切り添えた作があり、これらが代を見分ける手がかりになります。弟子に贈った作など、添銘から制作の事情がわかる作も残っています。
基本情報
| 刀工名 | 是一(石堂運寿) |
|---|---|
| 読み | これかず |
| 時代 | 新々刀 |
| 国 | — |
| 代 | — |
位列
| 位列 | 位 | 備考 |
|---|---|---|
| 刀剣要覧の位列 | 新々刀・上々作 | 第22版/名寄せ:旧slug korekazu-shinshinto |
| 刀工辞典の位列 | 新々刀・上々作 | — |
位列から見る刀剣界での立ち位置
- 刀剣要覧の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された237工のうちの一人で、4段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです。古刀・新刀・新々刀ごとに段階が分かれています。(一覧を見る)
- 刀工辞典の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された224工のうちの一人で、5段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)
位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。
生きた時代と歴史的背景
新々刀(江戸後期〜明治初期)
新々刀とは、江戸時代後期(1770年代ごろ)から明治9年(1876年)の廃刀令のころまでに作られた日本刀を指します。水心子正秀らが古刀の作風への復古を唱えたことで知られます。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。
まとめ
是一(石堂運寿)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」と位置づけられている新々刀の刀工です。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。
出典
- https://katananokura.jp/hpgen/HPB/entries/51.html
- https://k.n-owner.jp/刀を知る/新々刀列位/
- https://www.tsuruginoya.com/infomation/data/iretsu-shinto
- https://www.touken-world.jp/sword-artisan-directory/korekazu-isido/
- https://www.touken-sato.com/event/katana/2012/03/K-unju_korekazu-01.html
- https://tokka.biz/sword/korekazu.html