政常(初代)(相模守)の位列と基本情報|刀工データベース

政常(初代)(相模守)(まさつね)は、刀剣要覧の位列で「新刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新刀・上々作」に位置づけられている刀工です。

相模守政常(初代)とは

初代相模守政常(さがみのかみまさつね)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけて尾張国で活躍した刀工です。美濃国の出身で、小牧・清洲・名古屋と尾張の中心地を移りながら作刀しました。飛騨守氏房・伯耆守信高とともに「尾張三作」に数えられ、とくに槍や短刀の名手として知られます。

系譜と経歴

名古屋刀剣博物館の解説によると、天文4年(1535年)に美濃国納土(現在の岐阜県美濃加茂市)で生まれ、永禄10年(1567年)に尾張の小牧城下へ移りました。はじめは「兼常」と銘を切っていましたが、天正20年(1592年)に相模守を受領してから「政常」に改めたとされます。一方、刀剣ワールドは、清洲に移ったのちに福島正則のお抱え鍛冶となって「政常」に改めたと説明しています。

刀剣ワールドによれば、小牧では徳川家康の配下に入り、天正12年(1584年)の小牧山の戦いに際して槍100本を納めて銀子を賜ったといいます。その後、家康の四男・松平忠吉に招かれて清洲城下へ移りましたが、慶長12年(1607年)に忠吉が亡くなると、喪に服して隠居しました。

しかし息子が早くに亡くなったため、美濃から養子を迎えて再び第一線に戻り、「相模守藤原政常入道」と銘して、尾張藩主となった徳川義直に親子で仕えました。義直の名古屋城入りにともない、尾張藩お抱えの刀工として名古屋城下へ移っています。

作風の特徴

項目 特徴
姿 慶長新刀らしく身幅が広く、反りが浅く、切先が延びる。短刀は身幅広く重ねが厚い
刃文 短刀は沸本位の広直刃や湾れ乱れ。刀は互の目乱れや大乱れに砂流しがかかる
作域 刀・脇差・短刀のほか、槍と薙刀の名手

政常の短刀は贈答用としても重んじられました。

鑑賞・購入のポイント

政常の名は養子に受け継がれ、隠居後に復帰してからは「入道」を添えた銘を切っています。「兼常」銘の初期作、「政常」銘、「政常入道」銘と、銘の変化が経歴に対応しているため、銘から時期を考える楽しみがある刀工です。二代以降との区別は鑑定書で確認しましょう。

基本情報

刀工名 政常(初代)(相模守)
読み まさつね
時代 新刀
国 —
代 初代

位列

位列 位 備考
刀剣要覧の位列 新刀・上々作 第22版
刀工辞典の位列 新刀・上々作 —

位列から見る刀剣界での立ち位置

  • 刀剣要覧の位列:「新刀・上々作」——新刀の部に掲載された541工のうちの一人で、5段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです。古刀・新刀・新々刀ごとに段階が分かれています。(一覧を見る)
  • 刀工辞典の位列:「新刀・上々作」——新刀の部に掲載された478工のうちの一人で、5段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)

位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。

生きた時代と歴史的背景

新刀(慶長年間〜江戸中期)

新刀とは、一般に慶長年間(1596年〜)から江戸時代中期ごろまでに作られた日本刀を指します。戦乱が収まって城下町が整えられ、刀工が各地の城下に集まって作刀するようになり、華やかな刃文の作も多く生まれました。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。

まとめ

政常(初代)(相模守)は、刀剣要覧の位列で「新刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新刀・上々作」と位置づけられている新刀の刀工です。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。

出典

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