信秀(栗原)の位列と基本情報|刀工データベース

信秀(栗原)(のぶひで)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」に位置づけられている刀工です。

栗原信秀とは

栗原信秀(くりはらのぶひで)は、幕末から明治初期にかけて江戸などで活躍した刀工です。もとは京都の鏡師(金属製の鏡を作る職人)で、江戸に移って源清麿に入門し、刀工に転身しました。清麿一門の高弟とされ、鏡師時代に培った技を生かした見事な刀身彫刻で知られます。

系譜と経歴

文化12年(1815年)、越後国の現在の新潟県西蒲原郡月潟村に生まれ、現在の三条市で育ちました。15歳で京都に上って鏡師となり、約20年後に江戸へ移住して源清麿に師事しました。

慶応元年(1865年)に筑前守を受領し、以後「栗原筑前守信秀」などと銘を切っています。幕末の動乱期に刀身彫刻の名手として人気を得て、明治維新後も多くの作を残しました。明治13年(1880年)に没しています。

作風の特徴

項目 特徴
作域 刀・脇差・短刀・槍など幅広い
刃文 湾れ調の互の目など、師の清麿の流れをくむ作。穏やかで品のある焼刃の作もある
彫物 鏡の裏の文様彫りで鍛えた技による、精緻な刀身彫刻

刀剣ワールドが所蔵する慶応3年(1867年)の刀は、志津三郎兼氏を思わせる姿に、湾れ調の互の目を焼いた、華美に走らない上品な出来と紹介されています。

鑑賞・購入のポイント

信秀の魅力は刀身彫刻にあり、彫物のある作は特に人気があります。受領前後で銘が変わるため、「筑前守」の有無から慶応元年以降の作かどうかを判断できます。2004年には新潟県十日町市の星と森の詩美術館で、重要刀剣2口を含む作品と、信秀が作った鉄鏡を展示する展覧会も開かれました。

基本情報

刀工名 信秀(栗原)
読み のぶひで
時代 新々刀
国 —
代 —

位列

位列 位 備考
刀剣要覧の位列 新々刀・上々作 第22版
刀工辞典の位列 新々刀・上々作 —

位列から見る刀剣界での立ち位置

  • 刀剣要覧の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された237工のうちの一人で、4段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです。古刀・新刀・新々刀ごとに段階が分かれています。(一覧を見る)
  • 刀工辞典の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された224工のうちの一人で、5段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)

位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。

生きた時代と歴史的背景

新々刀(江戸後期〜明治初期)

新々刀とは、江戸時代後期(1770年代ごろ)から明治9年(1876年)の廃刀令のころまでに作られた日本刀を指します。水心子正秀らが古刀の作風への復古を唱えたことで知られます。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。

まとめ

信秀(栗原)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」と位置づけられている新々刀の刀工です。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。

出典

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