国村(延寿)の位列と基本情報|刀工データベース

国村(延寿)(くにむら)は、刀剣要覧の位列で「古刀・上々作」、刀工辞典の位列で「古刀・上作」に位置づけられている刀工です。

延寿国村とは

延寿国村(えんじゅくにむら)は、鎌倉時代末期に肥後国菊池(現在の熊本県菊池市)で作刀を始めた刀工で、肥後の刀工一派「延寿派」の祖とされます。京都の来派の技術を学んだ刀工で、国村が「延寿太郎」と名乗ったことから、一門が「延寿」と呼ばれるようになりました。

系譜と経歴

出自や来派との関係については、資料によって説明が異なります。

  • 武士道美術館の解説:父は大和国の尻懸派の刀工・則弘の門人である弘村。国村は大和から京都に出て来国行に学び、その娘婿になった
  • コトバンク(日本大百科全書):国村の父が来国行の婿といわれる。また、来国俊の門人である国村が肥後で延寿派を開いたとも記す

いずれの説でも、大和の刀工の血筋と京都の来派の技術が合わさった刀工という点は共通しています。父の弘村は九州には下らず、実際に菊池に移り住んで作刀を始めたのは国村だとされます。朝廷への忠勤に熱心で京都との交流も深かった菊池氏の求めに応じて移住したと考えられています。

延寿派は南北朝時代に菊池氏に属し、菊池一族が栄えた時代に三十数名の刀工を出しました。国友・国資・国時・国信らが知られ、一門は戦国時代まで続きます。こうした経緯から、延寿派の刀は勤王家のあいだで特に珍重されました。

作風の特徴

国村を含む初期の延寿派(古延寿)は、山城伝の来派の影響を強く受けています。姿は上品で、来国俊や来国光の作に似た作風を示し、刃文は沸を主体とした直刃が特徴です(山城伝)。

鑑賞・購入のポイント

延寿派の作は来派に似ているため、無銘の作では来と延寿のどちらに極めるかが鑑定の分かれ目になります。延寿派の刀工の多くは同名が数代続きましたが、国村と国友は一代限りの名とされています。

基本情報

刀工名 国村(延寿)
読み くにむら
時代 古刀
国 肥後
代 —

位列

位列 位 備考
刀剣要覧の位列 古刀・上々作 第22版(古刀の部・三位)
刀工辞典の位列 古刀・上作 —

位列から見る刀剣界での立ち位置

  • 刀剣要覧の位列:「古刀・上々作」——古刀の部に掲載された181工のうちの一人で、5段階中、上から3番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです。古刀・新刀・新々刀ごとに段階が分かれています。(一覧を見る)
  • 刀工辞典の位列:「古刀・上作」——古刀の部に掲載された615工のうちの一人で、5段階中、上から3番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)

位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。

生きた時代と歴史的背景

古刀(〜慶長年間)

古刀とは、一般に慶長年間(1596年〜)より前に作られた日本刀を指します。平安時代後期から安土桃山時代にあたり、武士の世の中で日本刀が実戦の武器として発達し、大和・山城・備前・相州・美濃の五箇伝の作風が生まれた時代です。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。

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肥後国が現在のどの都道府県にあたるかは旧国名一覧で確認できます。

まとめ

国村(延寿)は、刀剣要覧の位列で「古刀・上々作」、刀工辞典の位列で「古刀・上作」と位置づけられている古刀の刀工です。肥後国の刀工とされます。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。

出典

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