真雄(山浦)の位列と基本情報|刀工データベース

真雄(山浦)(さねお)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」に位置づけられている刀工です。

山浦真雄とは

山浦真雄(やまうらさねお)は、江戸時代後期から幕末にかけて信濃国で活躍した刀工です。幕末の名工源清麿の実兄で、実戦に耐える刀を求めて刀鍛冶を志し、小諸藩・上田藩・松代藩の藩工を歴任しました。松代藩の試し斬りで群を抜く堅牢さを示した逸話が知られます。

系譜と経歴

文化元年(1804年)8月、信濃国小県郡赤岩村の名主・山浦家の長男として生まれました。弟の環(のちの源清麿)に作刀の手ほどきをしたとも伝えられます。

名刀幻想辞典によると、江戸の水心子正秀の娘婿にあたる氷心子秀世に入門し、上田の河村寿隆、さらに浜部寿実にも学びました。藩工としては、小諸藩(1840〜1847年)、上田藩(1848〜1853年)、松代藩(1853〜1868年)と仕え、松代藩では藩主・真田幸貫に招かれています。明治7年(1874年)に71歳で没しました。子の山浦兼虎も刀工です。

銘は、完利、寿守、寿昌、正雄、真雄、寿長と何度も改めています。

作風の特徴

名刀幻想辞典は、真雄の傑作は脇差・短刀に多いとしており、いくつかの作は長野県の文化財に指定されています。

真雄の刀の性能を物語るのが、嘉永4年(1851年)に松代藩で行われた「荒試し」と呼ばれる堅牢さの試験です。ほかの刀が次々に折れるなか、真雄の刀だけは最後に金敷(鉄の台)に18回叩きつけてようやく折れたと伝えられます。

鑑賞・購入のポイント

生涯に何度も銘を改めているため、銘から作刀の時期をおおよそ推定できます。

基本情報

刀工名 真雄(山浦)
読み さねお
時代 新々刀
国 —
代 —

位列

位列 位 備考
刀剣要覧の位列 新々刀・上々作 第22版
刀工辞典の位列 新々刀・上々作 —

位列から見る刀剣界での立ち位置

  • 刀剣要覧の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された237工のうちの一人で、4段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです。古刀・新刀・新々刀ごとに段階が分かれています。(一覧を見る)
  • 刀工辞典の位列:「新々刀・上々作」——新々刀の部に掲載された224工のうちの一人で、5段階中、上から2番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)

位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。

生きた時代と歴史的背景

新々刀(江戸後期〜明治初期)

新々刀とは、江戸時代後期(1770年代ごろ)から明治9年(1876年)の廃刀令のころまでに作られた日本刀を指します。水心子正秀らが古刀の作風への復古を唱えたことで知られます。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。

まとめ

真雄(山浦)は、刀剣要覧の位列で「新々刀・上々作」、刀工辞典の位列で「新々刀・上々作」と位置づけられている新々刀の刀工です。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。

出典

刀工データベース トップへ戻る