和泉守金道(二代)の位列と基本情報|刀工データベース

和泉守金道(二代)(いずみのかみきんみち)は、業物位列で「業物」、刀工辞典の位列で「新刀・上作」に位置づけられている刀工です。

基本情報

刀工名 和泉守金道(二代)
読み いずみのかみきんみち
時代 新刀
国 山城
代 二代

位列

位列 位 備考
業物位列 業物 Wikipediaは「和泉守金道(初二代)」で1項目。
刀工辞典の位列 新刀・上作 —

位列から見る刀剣界での立ち位置

  • 業物位列:「業物」——この位列に掲載された172工のうちの一人で、4段階中、上から4番目の位です。江戸時代の試し斬りの結果をもとにした、切れ味の格付けです。刀の美しさや出来を評価したものではありません。(一覧を見る)
  • 刀工辞典の位列:「新刀・上作」——新刀の部に掲載された478工のうちの一人で、5段階中、上から3番目の位です。刀工の技量・出来(作位)を示す格付けです(最上作〜中作の5段階)。(一覧を見る)

位列は資料ごとに評価の基準が異なります。見方は刀工の位列とはで解説しています。

生きた時代と歴史的背景

新刀(慶長年間〜江戸中期)

新刀とは、一般に慶長年間(1596年〜)から江戸時代中期ごろまでに作られた日本刀を指します。戦乱が収まって城下町が整えられ、刀工が各地の城下に集まって作刀するようになり、華やかな刃文の作も多く生まれました。詳しくは古刀・新刀・新々刀・現代刀の違いをご覧ください。

山城の新刀の作風の傾向

埋忠明寿は金工出身で新刀鍛冶の祖と仰がれ、堀川国広は新刀初期の大勢力である堀川派の祖とされる。いずれも山城(京都)を拠点に新刀初期を牽引した。

以下は産地全体の一般的な傾向で、個々の刀工によって異なります。

見どころ 傾向
姿(すがた) 堀川国広の姿は身幅広く反りが深めで、切先の伸びる豪壮なものとされる。
地鉄(じがね) 堀川国広の地鉄は小板目肌がよく詰むものから、板目肌が立ち心でザングリとした肌合いのもの(「堀川打ち」)まで幅があるとされる。
刃文(はもん) 埋忠明寿は直刃や湾れ刃を焼くとされ、堀川国広は初期(天正打)に末古刀風の互の目乱れが多く、京都定住後は相州伝を意識した湾れや互の目乱れも焼いたとされる。

埋忠派と堀川派では作風が異なり、堀川門人は後に大坂・江戸などへ広がって各地の新刀の源流となったため、一括りにはできない。国広自身も時期により作風が変わる。

関連する刀工・ページ

同じ時代・同じ国(新刀・山城)の刀工

山城国が現在のどの都道府県にあたるかは旧国名一覧で確認できます。

まとめ

和泉守金道(二代)は、業物位列で「業物」、刀工辞典の位列で「新刀・上作」と位置づけられている新刀の刀工です。山城国の刀工とされます。位列は刀工への評価であり、一振りごとの出来や真贋を保証するものではありません。実際の刀を見るときは、姿・地鉄・刃文を自分の目で確かめることが大切です。鑑賞のポイントは日本刀の鑑賞方法で解説しています。

出典

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