山城の古刀の刀工一覧|29工を位列で整理

山城の古刀の刀工一覧
目次

山城の古刀の刀工、誰がいるの?

山城国(山城)は、古刀の時代に刀工が活躍した産地の一つです。この記事では、刀工データベースで国が山城、時代が古刀と記載されている29工を、位列の評価の高い順に一覧にしました。

結論:山城の古刀の刀工は29工。うち15工が作位の最上位です

データベースに載る29工のうち、業物位列にも載る刀工は0工、刀剣要覧または刀工辞典で最上位の段階(第1段階)にある刀工は15工です。個別の解説ページがある刀工は18工です。

山城の古刀の位列の分布

刀剣要覧・刀工辞典のそれぞれで、山城の古刀の刀工が何段階目の位にいるかを数えました(第1段階が最上位)。

位列 第1段階 第2段階 第3段階 第4段階 第5段階 計
刀剣要覧 10 6 6 2 1 25
刀工辞典 15 1 7 1 0 24

流派の内訳

解説のある主な刀工

山城の古刀の刀工のうち、個別の解説ページがある刀工の概要です。詳しくは各ページをご覧ください。

粟田口久国

粟田口久国(あわたぐち ひさくに)は、鎌倉時代に京都の粟田口で活躍した刀工です。粟田口派を代表する名工の一人で、山城伝の上品な作風を伝えています。生没年はわかっていません。

粟田口国清

粟田口国清(あわたぐちくにきよ)は、鎌倉時代初期に山城国粟田口(現在の京都市東山区)で活躍した刀工です。粟田口派の祖・国家の子で、名工ぞろいの「粟田口六兄弟」の四男にあたります。反りが浅く、焼幅の広い直刃調の刃文を焼いた作風で知られています。

粟田口国友

粟田口国友(あわたぐちくにとも)は、鎌倉時代初期に山城国粟田口(現在の京都市東山区)で活躍した刀工です。粟田口派の祖・国家の子で、名工ぞろいの「粟田口六兄弟」の長男にあたります。後鳥羽上皇の御番鍛冶に選ばれた名工で、粟田口派らしい精緻な地鉄と上品な直刃で知られています。

粟田口国綱

粟田口国綱(あわたぐちくにつな)は、鎌倉時代初期から中期にかけて活躍した山城国粟田口派の刀工です。粟田口六兄弟の末弟にあたり、天下五剣の一振「鬼丸国綱」の作者として知られます。のちに鎌倉へ移り住み、鎌倉鍛冶の礎を築いた人物としても重要です。

粟田口国安

粟田口国安(あわたぐちくにやす)は、鎌倉時代初期に山城国粟田口(現在の京都市東山区)で活躍した刀工です。粟田口派の祖・国家の子で、「粟田口六兄弟」の三男にあたります。後鳥羽上皇の御番鍛冶を務めた名工の一人で、一門のなかでは丁子乱れなど華やかな刃文を焼いた点に個性があります。

粟田口国吉

粟田口国吉(あわたぐちくによし)は、鎌倉時代中期に山城国粟田口(現在の京都市東山区)で活躍した刀工です。短刀の名手として知られ、名物「鳴狐(なきぎつね)」の作者として有名です。粟田口派の名工・藤四郎吉光の師とする説が有力で、派の技術を次代へつないだ存在でもあります。

粟田口則国

粟田口則国(あわたぐちのりくに)は、鎌倉時代に山城国粟田口(現在の京都市東山区)で活躍した刀工です。粟田口派を興した「粟田口六兄弟」に続く世代の筆頭とされ、国宝の太刀を遺した名工です。在銘の現存作は多くありませんが、そのいずれもが粟田口派の典型を示す貴重な作例とされています。

藤四郎吉光

粟田口吉光(あわたぐち よしみつ)は、鎌倉時代中期(13世紀)に京都の粟田口で活躍した刀工です。通称を「藤四郎(とうしろう)」といい、短刀の名手として日本刀史上屈指の評価を受けています。粟田口派を代表する名工で、山城伝の気品ある作風を今に伝えています。

綾小路定利

綾小路定利(あやのこうじ さだとし)は、鎌倉時代に京都で活躍した刀工です。京の綾小路に住んだことからこの名で呼ばれます。古くから文永年間(1264〜1275)頃の刀工と伝えられてきましたが、太刀の姿や鍛え、刃文などの作風からは、それより前の鎌倉時代前期の刀工とみられています。山城伝の優美な作風を伝える名工の一人です。

五条兼永

五条兼永(ごじょうかねなが)は、平安時代に山城国の京(現在の京都市)五条に住んで刀を作った刀工です。住まいの地名から「五条」を冠して呼ばれ、五条派を代表する刀工とされます。三条宗近に始まる京の刀づくりの流れをくむ、山城伝の最初期の名工の一人です。

来国光

来国光(らい くにみつ)は、鎌倉時代末期から南北朝時代にかけて山城国(京都)で活躍した来派の刀工です。年紀の入った作は嘉元から観応年間(14世紀前半〜半ば)にわたり、太刀・短刀ともに多くの作が現存しています。国宝を複数もつ、来派を代表する名工の一人です。

来孫太郎国俊

来国俊(らい くにとし)は、鎌倉時代後期に山城国(京都)で活躍した来派の刀工です。「来国俊」の三字銘で知られ、太刀だけでなく短刀の名手としても高く評価されています。年紀入りの作から、正和4年(1315)に75歳であったことがわかり、そこから延応2年(1240)頃の生まれと推定されています。

来国次

来国次(らい くにつぐ)は、鎌倉時代後期に活躍した来派の刀工です。京都の来派に学んだのち鎌倉へ移り、正宗の門に入ったと伝えられることから「鎌倉来(かまくららい)」とも呼ばれます。年紀のある作は嘉暦から正慶年間(14世紀前半)に見られます。

来国行

来国行(らいくにゆき)は、鎌倉時代中期に山城国(現在の京都府)で活躍した刀工で、京の名門「来派」の事実上の祖とされる人物です。粟田口派とならぶ山城伝の中心的な存在で、豪壮な太刀と華やかな丁子乱れを焼いた名工として知られています。

三条宗近

三条宗近(さんじょうむねちか)は、単に「宗近」とも呼ばれ、平安時代に山城国の京(平安京)の三条あたりに住んで刀を作ったと伝わる刀工です。天下五剣の一つ「三日月宗近」の作者として、日本刀の歴史の最初期を代表する名前として知られています。三条派の祖とされ、山城伝の源流に位置づけられます。

山城の古刀の刀工一覧

刀剣要覧・刀工辞典の作位が高い順(同じ段階なら業物位列の高い順)に並べています。名前をクリックすると、各刀工のページを見られます。

刀工 代 業物位列 刀剣要覧 刀工辞典
粟田口久国 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口国清 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口国友 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口国綱 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口国安 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口国吉 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
粟田口則国 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
藤四郎吉光 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
綾小路定利 — — 古刀・最上作(第2段階) 最上作(第1段階)
五条兼永 — — 古刀・最上作(第2段階) 最上作(第1段階)
来国光 — — 古刀・最上作(第2段階) 最上作(第1段階)
来孫太郎国俊 — — 古刀・最上作(第2段階) 最上作(第1段階)
来国次 — — 古刀・最上作(第2段階) 最上作(第1段階)
来国行 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
三条宗近 — — 古刀・極上作(第1段階) 最上作(第1段階)
国永 — — 古刀・最上作(第2段階) —
山城信国(初代) 初代 — 古刀・上々作(第3段階) 上々作(第2段階)
達磨重光 — — 古刀・上作(第4段階) 上作(第3段階)
鞍馬関吉次 — — 古刀・中上作(第5段階) 上作(第3段階)
国盛(大宮) — — 古刀・上々作(第3段階) —
来国長 — — 古刀・上々作(第3段階) 上作(第3段階)
来倫国 — — 古刀・上々作(第3段階) 上作(第3段階)
信国(応永) — — 古刀・上々作(第3段階) —
山城了戒 — — — 上作(第3段階)
山城左衛門尉信国 — — — 上作(第3段階)
山城式部丞信国 — — — 上作(第3段階)
吉家 — — 古刀・上々作(第3段階) —
正宗(達磨) — — 古刀・上作(第4段階) —
城州重並 — — — 中上作(第4段階)

知っておくべき注意点

1. 国名は、作刀地・出身地・受領名の国名などを含みます。「山城守」のような受領名の国名と、実際の作刀地とは別のことがあります。国名の現在の都道府県は旧国名一覧で確認できます。

2. 位列は刀工への評価で、一振りの評価ではありません。位列の見方は刀工の位列とはで解説しています。

3. 国が記載されていない刀工は、この一覧に含まれていません。資料によって国が書かれていない刀工がいるためです。

まとめ:山城の古刀の刀工は、位列の高い刀工から知りましょう

山城の古刀には、29工が位列に載っています。まずは位の高い刀工のページから、系譜や作風、代表作を確認してみてください。

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